元モデルで女優の君島十和子さんは、1995年に君島誉幸さんと結婚。
結婚当時に大きくスキャンダルが報じられ、離婚の可能性を示唆されていた二人でしたが、現在も仲良く過ごしています。
今回の記事では、君島十和子さんの夫・君島誉幸さんとの馴れ初めや婚外子の存在、現在の結婚生活などについてまとめていきたいと思います。
目次
君島十和子と夫・君島誉幸は1995年12月11日に結婚!
当時、モデルや女優として活動していた君島十和子さんは、1995年12月11日に君島誉幸さんと結婚しました。
結婚を機に芸能界を引退し、夫を支えてきたようです。
のちほど詳しく説明をしますが、結婚当時は周りから祝福されるようなムードではなかったとのこと。
すぐに離婚をするとまで言われていたのだそうです。
ただ、今ではセレブ夫妻としてテレビなどにも出演しています。
君島誉幸はどんな人?
では、夫である君島誉幸さんとはどんな人なのでしょうか。
年齢は君島十和子さんの一つ上。
ファッションブランドKIMIJIMAの創業者でデザイナーであった君島一郎さんの息子さんです。
結婚当初は、君島明という名前だったのですが、その後改名し、君島誉幸という名前になりました。
現在の職業は、株式会社FTCの代表取締役。君島十和子さんが商品開発、君島誉幸さんが代表を務めるコスメブランド「フェリーチェトワコ」のプロデュース&運営をされています。
また医師免許も取得しており、現在のように会社経営者をする以前は、皮膚科医をされていたそう。
馴れ初め
二人の始まりは、1994年11月。
当時、KIMIJIMAの副社長を務めていた君島誉幸さんが、ブライダルコレクションのゲストモデルを探しており、記者に誰かいい人がいないかと相談をしたのだと言います。
そこで記者が推薦したのが、当時女優・吉川十和子という名で活躍していた君島十和子さんでした。
翌年の1995年2月に、二人は初めて対面します。
お互いに第一印象はいまひとつ。
ただ、打ち合わせや仕事などを共にしているうちに少しずつ打ち解けていき、君島十和子さんの29歳の誕生日(1995年5月3日)に初デートをしました。
そこからの進展はとても早く、初デートの翌月6月にはプロポーズをされたのだそうです。そして、12月には金屏風の前で婚約会見をしました。
君島誉幸の父は有名ファッションデザイナー
少し触れましたが、君島誉幸さんの父親はファッションデザイナーである君島一郎さんです。
君島一郎さんは❝日本を代表するファッションデザイナー❞として高く評価されていました。
1962年に君島一郎オートクチュール第一号店を青山にオープンし、1964年にはホテルニュージャパンで初のコレクションを開催しています。
そして現在は君島誉幸さんが引き継いだ、KIMIJIMAブランドの創業者でもあります。
KIMIJMAは、社交界や上流階級にも好まれるブランドで、皇族の方々も愛用。
皇族もお召しになると紹介されるようになったKIMIJIMAブランドは、女性の間では憧れのブランドとして一大勢力を誇りました。
素晴らしいファッションデザイナー兼創業者として知られた、君島一郎さんは1996年7月14日に急死。
亡くなられた後も、ファッションデザイナー・君島一郎さんのファンも変わらず、魅力を語っているようでした。
君島誉幸が婚外子であることが発覚
さて、結婚目前で君島誉幸さんにはスキャンダルが流れました。
一つは、君島誉幸さん自身が婚外子であった事。
いわゆる、君島一郎さんの妻の子ではなく、愛人との間に生まれた子でした。
君島誉幸さんが自分自身が婚外子であることを父親から知らされたのは20歳になった時でした。
父親は、自宅に帰ってくることは少ないとは感じていたものの、まさか家の外に本妻と子供がいたことは思ってもなかったようです。
もともとは佐藤明で佐藤姓だったのですが、後に君島誉幸さんの母親は君島一郎の母親の養子に入り、君島姓を名乗れるようになったのだと言います。
かなり複雑な関係性ですよね。
君島一郎さんの子供ではありますが、戸籍上は君島一郎さんの母親の養子の子供というわけになるのです。
本妻との間に出来た子供は、君島立洋さん。当初は、立洋さんがKIMIJIMAの副社長を務めていたのですが、「IT会社を設立したい」ということで、半年程度で退任してしまったのです。
その後、誉幸さんがKIMIJIMAの副社長として会社を支えていくことになったのですが、1996年7月14日に君島一郎さんが亡くなると、本妻と君島立洋さんが遺産の相続権を主張。典型的な遺産相続争いへと発展します。
元社長に愛人と隠し子がいたことに加えて、見苦しい遺産相続問題。
これらのスキャンダルが表に出たことにより、KIMIJIMAブランドは経営が傾き始め、負債40億円を抱えて倒産。
相続により、君島誉幸さんの手に渡った時には借金がかなりあったそう。
しかし、↓で後述していますが、現在は借金の返済も終わり、経営もうまくいっているようです。
さらには、君島誉幸さんにも隠し子がいたことが発覚。
ただ、報道された時にはすでに君島十和子さんも隠し子の存在を知っており、承知したうえで結婚に至っていたようです。
君島十和子さんの母親も近所の人から「結婚させてはダメ」と忠告されたこともあったそうですが、二人の愛は強く、祝福されずとも結婚という選択をしました。そして、1996年1月をもって、君島十和子さんは芸能界を引退されました。本気の愛ですね!
借金返済エピソードもスゴイ
セレブ婚に思えたが、KIMIJIMAの倒産により結婚生活は借金生活スタート。
しかし、ここからの逆転劇がスゴイんです!
君島十和子さんは、自身を広告塔に化粧品開発に動きます。十和子ブランドを確立し、彼女に憧れる女性たちを「トワラー」とメディアが取り上げて、人気が爆発。
2013年の年商はなんと13億円。
化粧品の原価は正直安いですから、かなりの部分が利益として残るはずです。この偉業により、借金は見事完済されたというわけです。
君島誉幸の隠し子の現在
↑でちらっと紹介しましたが、誉幸にも実の父親と同様に隠し子がいます。性別は男。息子さんです。
現在、どこでどうしているのか詳細は不明ですが、その母親への慰謝料は6000万円が支払われ、隠し子とは二度と会わないこと、そしていっさい口外しないことを約束したと言われています。
君島誉幸が激やせ
出典:芸能人の裏の裏
そんな君島誉幸さんが激やせしたことが話題となっています。
初めから太っている体型ではありませんでしたが、2013年11月に放送されたテレビ番組『はなまるマーケット』に出演した際、かなり痩せていたので、心配の声が多く見られたのです。
しかし、この真相は、君島十和子さんの助言により10年かけてダイエットをした結果だったとのことでした。
なんと、10㎏の減量に成功したのだそう。つまり、病気ではありません。
凄いですよね。
確かに↑の画像を見ると輪郭がシュッとしていますね。
番組内ではダイエット料理を紹介されていました。タジン鍋を使った野菜たっぷりの蒸し料理や酢の物は君島家の定番なんだとか!
君島誉幸に病気の噂
激やせしたことにより、病気ではないかと噂が流れましたが、病気である事実はありません。
前述したように、ダイエットが成功したために激やせしたということです。-10kgも減量したら、見た目・体型はガラリと変わりますからね。
年齢を重ねてから細くなると、どこか病気を患っているのでは?と思ってしまうのは無理ないですが、実際にはバリバリ元気ですw
君島十和子と夫・君島誉幸の現在
出典:Abema TIMES
そして現在。
君島十和子さんはセミナーを行ったり、夫である君島誉幸さんのサポートを行っています。
二人は、結婚後も変わらず夫婦仲は良好で、二人の娘さんにも恵まれました。
長女は1997年、次女は2001年に誕生しました。
↑の画像は、2018年12月19日には君島十和子さんが更新したブログ記事内の画像で、結婚24年目を迎えた時に家族でお祝いした様子です。
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いかがでしたでしょうか。
逆境を二人で乗り越えてきたからこそ、二人の絆は強く結ばれていることが分かります。
今後も君島十和子さんと君島誉幸さんの活躍を期待しています。