桜町弘子の夫についてご紹介します。
目次
桜町弘子について
桜町弘子は37年静岡県生まれ。
本名は臼井真琴という。
デビュー時は松原千浪という芸名だった。半年程度で桜町弘子と改めた。
65年までに120~130本の映画(ほぼ時代劇)に出演。
東映が任侠路線を主軸にするようになると、彼女もやくざの姐さんやら芸者やらを演じるようになった。
とかく時代劇イメージが強い彼女だが、アクションドラマにレギュラー出演していたことがある。
「特命捜査室」(69年)がそれで、主演は中山仁、高城丈二で、他のレギュラーは賀川雪絵、千葉治郎、大橋一元、そして桜町であった。
元々「ブラックチェンバー」という中山と内田良平が主演の暗い雰囲気のアクションドラマをやっていたのを1クールでやめ、高城、大橋、桜町を新レギュラーにして明るい雰囲気に方向転換したものである。
中山、千葉、賀川は前作から同じ役名で登場している。
その関係でこの「特命捜査室」も1クールで終了している。
時代劇と言えば、彼女が登場するぐらい当時では有名だったんですね。
しかし、意外とこんな事もおっしゃってました。
桜町弘子さんは、1937年生まれの80歳。
今でもお元気そうで、加藤監督の思い出を語っていた。
今では名前を知らない人が多いだろうが、東映映画の娯楽作品で町娘をやったり、任侠映画でも活躍した。
本人も言っていたが、すごい美女女優ではなく、個性的で「おきゃん」な感じの役を一生懸命やってるイメージが強い。
ラピュタ阿佐ヶ谷というミニ映画館で、朝一回だけど桜町弘子特集をやっていた。
「骨までしゃぶる」は唯一の主演作で、今回初めてラピュタで映画を見て、俳優のクレジットの最初に、
一人で「桜町弘子」と出てるのを見て心が震えたと言っていた。
新人だった夏八木勲とお昼抜きで「自主練習」をしたけど、監督は全然評価してくれなかったと言う。
「車夫遊侠伝 喧嘩辰」のヒロインで、内田良平の車夫と3回結婚式をあげる破天荒なカップルを演じているが、冒頭の人力車ごと川に投げ込まれる場面、2月の京都の撮影で寒くて大変だったそうで、内田良平ともあまり仲良くなれなかったと言う。
そんな思い出話を昨日のことのように語っていた。
時代なんですね。
「骨までしゃぶる」は唯一の主演作について
明治時代の遊郭の話。
貧しい農村から娘を買って遊郭に売り飛ばす。仲介業がいて、遊郭ではその娘を買った金を前借り金としてそれを返すために働かせる。
ものすごく理不尽な雇用関係でしかも借金は減らないようにできてる。
それどころかなんだかんだで増える。だから辞めれない。逃げたらリンチ。
この映画に対しての感想がこちら。
「散々な人生だったけど、それでもアタイはここで生きるんだ!」的な、一見逞しいようで受動的な結末に収束しがちな“遊郭モノ”において、あるまじき壮快感のある展開。こういうのもいいね。
という感想とか、
まー面白かった!!
チンピラともみ合いになりながら、桜町弘子が遊郭から逃げるシーンのアクションすげー。
あと自分の腕をハンマーで打たせるとこまでの見せ方とか。
桜町弘子の眼力がすごい。
評価がすごいですね。
桜町弘子の夫はどんな人?
結婚されているのか、していたらどんな夫だったのか気になりますね。
かなり古い資料ですが、キネマ旬報社の『日本映画俳優全集 ・女優編』(1980)によると。
70年俳優の大橋一元と結婚したが、73年に離婚、とあります。
どうやら結婚されていたようですね。
大橋一元ってどんな人?
大橋一元(おおはし かずもと、1945年6月8日 – )は、日本の俳優。1960年代から1970年代にかけて活動していた。
また、
大橋さんの出演作品は、1960年代のものだけのようです。
その後テレビに移って、上記の73年までは時々出演していたようです。
しかし以後は全く記録がなくなり、消息不明です。
あまり資料がありませんでした。
桜町弘子と夫・大橋一元に子供はいるの?
大橋さんと事もほとんど資料がありませんし、70年代以降はほとんど映画もテレビも出てきていませんので、プライベートな情報も分かりません。
推測ですが、3年で離婚されていますから、子供はおられないのではないでしょうか。
桜町弘子は今現在、何してる?
桜町さんは70年代の後半以後映画は数えるほどになり、テレビも近年はほとんど出演していません。
昨年は『新・京都迷宮案内』にゲスト出演したようです。
桜町弘子といえば、加藤泰作品のヒロインとして、まず、第一に挙げられる名女優だが、支配人の石井紫さんによれば、桜町さんは近所の高円寺にお住まいで、彼女の行き付けの喫茶店に、特集のチラシが置いてあるのを見つけて、度々、来場されるうちに、トークが実現したのだという。
桜町弘子さんは、近々、池袋の新文芸坐で始まる加藤泰特集でも、トークをするらしい。
これまで、あまり人前には出ない方という印象があったのだが、
敬愛する加藤泰の映画を語り継ぐのだという、強い意志のようなものを感じる。
今現在なにかしているというよりは、
他界した。という情報はありませんが、元気かどうかは、、、南田さんの件もありますし。
という情報がありました。