日本舞踊家で女優の藤間紫さんの夫、息子や娘についてまとめました。
また、家系図についても紹介します。
藤間紫さんの若い頃を画像を踏まえながら見ていきましょう。
目次
藤間紫の夫は2人いる
藤間紫(フジマムラサキ)さんですが、最初に藤間勘十郎さんと結婚し、そのあとに三代目市川猿之助さんと結婚をされています。
それぞれの旦那さんについて調べました。
藤間紫の元旦那・藤間勘祖 (2世)(藤間勘十郎)
藤間紫さんの最初の旦那さんは、藤間勘祖 (2世)です。
基本情報は以下のとおりです。
二世 藤間 勘祖(にせい ふじま かんそ)本名 藤間秀雄。
藤間流宗家の舞踊家。
六世藤間勘十郎でもある。
勘十郎は二代から五代までは女だったが、六代は男。昔、永代橋に稽古場があった所以から、永代橋=藤間 勘祖のことを呼んでいた。
三代目市川猿之助
藤間勘祖さんは、1990年12月5日に90歳で亡くなられています。
離婚理由は?
藤間勘祖さんと藤間紫さんは1944年に結婚しますが、 1985年に離婚をされています。
離婚理由については、どうやら浮気が原因のようです。
三代目市川猿之助との不倫恋愛や性格の相違などが理由で1985年に離婚した。
不倫をしたのは、藤間紫さんの方だったのですね。
もう少し詳しく見てみましょう。
藤間紫は2児を設けたが、60年代から猿之助と生活を共にするようになった。
猿之助は浜木綿子と結婚しており、ダブル不倫状態。
85年には離婚騒動で、裁判ざたとなり、勘十郎側から長男が新国劇・辰巳柳太郎の子供であると主張され、決着前の90年に勘十郎(当時・勘祖を名乗る)が亡くなった。
並行するように、87年には藤間流を離れ、紫派藤間流を創流し、“藤間流スキャンダル”として話題を呼んだこともあった。
“藤間流スキャンダル”という言葉ができてしまうくらい、当時は話題になっていたのですね。
藤間紫の現在の旦那は三代目市川猿之助
藤間紫さんの2人目の旦那さんは、三代目 市川 猿之助(さんだいめ いちかわ えんのすけ)です。
襲名歴
市川猿之助さんですが、現在は二代目市川猿翁を襲名しています。
襲名歴を以下に記載します。
1. 三代目市川團子
2. 三代目市川猿之助
3. 二代目市川猿翁
こちらは若い頃の写真です。
歌舞伎などの世界では襲名で名前が変わるのでややこしいですね。
家系図
ここで、家族構成について触れてみたいと思います。
家系図がありましたので記載します。
ご家族の方について説明します。
元妻は浜木綿子
上にも少し書きましたが、市川猿之助さんはもともと、浜木綿子と結婚されていましたが、藤間紫さんと不倫し、離婚をしています。
そのときのお子さんが香川照之さんです。
息子は香川照之
市川猿之助さんと浜木綿子との間に生まれたのが香川照之さんですが、離婚後は母親である浜木綿子さんに引き取られています。
その後俳優デビューした香川照之さんは、猿之助の公演先へ会いに行っていたようです。
しかし、市川猿之助さんは息子である香川照之さんに対し次のように突き放します。
大事な公演の前にいきなり訪ねてくるとは、役者としての配慮が足りません。
即ち、私は家庭と訣別した瞬間から蘇生したのです。
だから今の僕とあなたとは何の関わりもない。
あなたは息子ではありません。
したがって僕はあなたの父でもない。
あなたとは今後、二度と会う事はありません。
実の親子なのに冷たいですね。
しかし、今は和解されているとのことです。
その後、藤間紫の尽力で和解が進み、2009年の藤間の葬儀には親族として参列している。
さらに、2011年9月27日、亀治郎の四代目猿之助襲名と自身の二代目猿翁襲名、照之と照之の息子・政明の歌舞伎界進出発表の際には涙ながらに「浜さん、ありがとう。恩讐の彼方に、ありがとう」と、前妻・浜に対して感謝の言葉を述べている。
最終的には和解できたようで良かったです。
病気?
歌舞伎俳優の2代目市川猿翁さんが病気で入院しているということでいま話題になっていますね。
三代目・市川猿之助(現二代目・市川猿翁)は、2003年に難病指定されるパーキンソン病を発症。
少し心配ではありますが、香川照之さんが同居してサポートされるというエピソードがありました。
先代が病気になったことによってお互いの心に変化が。
香川照之曰く「現在、45年無縁だった父と同居しております。
病気を横で見てきて、誰がサポートしていくかを考え、中車の名前を継いでもいいでしょうかと相談した」ということで、彼が長らく無縁だった歌舞伎界へ足を踏み入れることとなったんだそうです。
病気をきっかけにお互いの距離が縮まったのですね。
藤間紫の若い頃
最後に藤間紫さんの若い頃の写真を見ていきます。
藤間紫さんのファンであろう人からは、
観るもの全てを魅了し、舞台の上で圧倒的な存在感を放つ女優「藤間紫」
とのコメントがありました。
「若い頃」で見つかる写真はほとんど白黒なのですが、今もYahoo!などで検索すると写真を含め、様々な情報が出てきます。
現在は他界されておりますが、「存在感があった」というのは間違いなさそうですね。