歌人の俵万智さんについてまとめました。
俵万智さんの夫についてや子供の父親、息子に関する話、佐佐木幸綱さんとの関係性についてご紹介します。
俵万智って?
俵 万智(たわら まち、1962年12月31日 – )は、日本の歌人。本名、同じ。
結社「心の花」所属。所属事務所は東京コンサーツ。
父は希土類磁石の研究者の俵好夫。
俵万智さんは30年以上に渡り、歌人として活動されています。
代表作には社会現象にもなった「サラダ記念日」や「チョコレート革命」などがあります。
近年は年末恒例の「新語・流行語大賞」の選考委員も務めています。
俵万智の夫
俵万智さんには現在、1児の母親でもありますが、夫の存在は明らかになっていません。
それ以前に俵さんは婚姻歴が無いため、夫といえる方はいないという説明が正しいです。
俵さん自身、人工受精による出産という事を明かしているため、個人情報などの観点から提供した方についても明らかにできないのが現状でしょう。
一部ネットでは、俵さんの夫は過去に仕事で一緒になった作家やカメラマンなのではないかという指摘も見られますが、確かな証拠が無いのでデマと考えていいです。
佐佐木幸綱との関係
俵万智さんの夫は、佐佐木幸綱さんなのではと疑う意見もある様ですが、これも間違いです。
正確には、佐佐木幸綱さんは俵万智さんの師匠といえる存在であり、俵万智さんが在籍していた早稲田大学で教授を務めていました。
俵万智は早稲田時代、幸綱氏の「日本文学概論」を受講し、それをきっかけに短歌を詠むようになりました。
俵さんのデビュー作『サラダ記念日』は歌の選択から編集・出版まで佐佐木幸綱教授が深く関わっております。
その後も師弟関係は続き現在も俵さんは先生主催の結社「心の花」の主要メンバーです。
当時、学生だった俵万智さんも佐佐木幸綱さんの授業を受けており、現在でもなお師弟関係が続いています。
俵万智の息子
俵万智さんは2003年11月に男の子を出産しています。
現在は中学3年生ですね。
「たくみん」という愛称で、俵さんのTwitterにも息子のやりとりが定期的に投稿されており、内容が面白いと話題にもなりました。
宿題を少しやっては「疲れた~」と投げ出す息子。
「遊んでるときは全然疲れないのにね」とイヤミを言ったら「集中は疲れるけど、夢中は疲れないんだよ!」と言い返されました。
高熱のため、一昨日からほとんど食べていない息子。
「ひいおばあちゃんが老人ホームの書き初めで『カツカレー』って書いたでしょ。今わかったよ。カツカレー食えるくらい元気になりたかったんだ」。
あれは『健康』という意味だったのか。
母親譲りの言葉のセンスが感じられる息子の言葉は、多くのユーザーからも好評でした。
「息子には生後半年くらいから、絵本を読み聞かせていました。
ぶたを食べたことのないおおかみにきつねがぶたの種をあげるという、『ぶたのたね』(絵本館刊)はお気に入りの絵本で、今でも全文暗唱できます。
一時期は、育児雑誌の『たまごクラブ』(ベネッセ刊)に夢中になっていましたね。
“自分と同じような形の子”がたくさん載っていたから、興味をひかれたんでしょうか(笑い)。
ことさら言葉に興味を持つように仕向けたわけではないですし、そういう教育法でもないんです。
ただ、私が言葉好きなので、彼がなにかユニークなことを言うと喜んだり、さらに掘り下げたりします。
例えば息子が、『“消しゴム”は漢字とひらがなとカタカナが全部入っていてすごい』と言えば、『じゃあ、“ソースかつ丼”はどうかしら』など私も夢中になってあれこれ考える。
息子はそうしたやりとりから、“言葉というのは面白いな”と思うようになったのかもしれません。
親が一緒に面白がることで、子供の言葉の畑が耕されるんでしょうね」
言葉を生業にしている俵さんならでは接し方が、息子にも少なからず影響を与えている様です。
俵さんのTwitterにも顔は隠されているものの、息子の写真が何度か投稿されています。
どの様な大人になっていくのか楽しみですね。
息子の中学校は?
俵万智さんは東日本大震災を境に、宮城県仙台市から沖縄県・石垣島と住まいを変え、さらに2016年には宮崎県宮崎市へと移住しています。
そのため、俵さんの息子は宮崎市内の中学校に在籍していると思われます。
俵さんが宮崎市へと移住した理由は、仕事の関わりが深い場所であったのと、木城町にある観光スポット「木城えほんの郷」が大好きだからというのがあるそうです。