加藤登紀子の夫の藤本敏夫は赤軍の革命家だった?娘で長女のyaeは歌手なの?

日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家、女優の加藤登紀子さんの旦那さんは藤本敏夫さんです。

藤本敏夫さんは学生運動に参加する革命家でした。

そんなお二人の結婚やお子さんのことについてまとめました。

 

加藤登紀子の旦那「藤本敏夫」

藤本敏夫さんは千葉県にある鴨川自然王国設立者です。

基本情報は以下のとおりです。

生年月日:1944年1月23日

出身地:兵庫県西宮市甲子園

ちなみに動物好きな方みたいですよ。

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学生運動、赤軍

学生運動、赤軍と言われても、最近の方は何のことだかよく分かりませんよね。

簡単に言いますと、1960年中頃世界は冷戦&文革と激動の時代で、日本は高度成長のさなか政治的腐敗も進んでおり、大学生らは、本気で学生たちの力を結集すれば日本を変えられると信じていました。
学生運動から派生した過激派が赤軍です。

藤本敏夫さんは、学生運動に参加し、全学連委員長にまでなられています。

1963年(昭和38)同志社大学文学部新聞学科入学、鶴見俊輔のゼミで新聞学を専攻します。
そして、新聞学研究会の学習会でエンゲルスの『空想から科学へ』を読み、大学2年生のとき学生運動に参加します。

1967年「10・8佐藤(栄作、当時首相)訪米阻止」闘争を契機に上京します。

1968年10月21日には国際反戦デーの防衛庁突入行動等により逮捕されています。

波乱万丈だったのですね。

鴨川自然王国

鴨川自然王国設立

藤本敏夫さんは1981年に食と農をテーマにした活動を始め、多目的農園『鴨川自然王国』(千葉県鴨川市)を設立しました。

自然と動物への愛にあふれた方だったんでしょうね。

藤本敏夫記念館

鴨川自然王国に、藤本敏夫記念館というのがあります。

藤本敏夫記念館はかつての藤本家を改装して居間をカフェにしたり、資料館になっています。

入口には、自然王国での藤本敏夫さんの写真やそれと加藤登紀子さんのCD、若き日の藤本さんと加藤登紀子さんまだ幼い頃の次女Yae(やえ)さんの写真が飾られています。

最後の写真はこのCafe のオーナーであるYae さんのCDジャケットです。

藤本敏夫と加藤登紀子は獄中結婚

1972年に4月学生運動関連で捕まってしまい、同年の5月に加藤登紀子さんと獄中結婚となりました。

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子供は?

1972年の12月に長女の美亜子さんをご出産されていますので、結婚前に身籠っていたのでしょう。

そして翌年、1975年に次女・八恵さんが誕生。

八恵さんは「Yae」名義で歌手活動をされています。

1980年に三女が誕生しています。

次女のYaeさん

次女のYaeさんですが、1995年、音楽劇『コルチャック先生』で、女優としてデビューすし、1999年頃より本格的に歌手およびシンガーソングライターとしての活動を始めます。
その頃、CMソングとして歌った歌詞付きの「別れの曲」などが話題となります。

2005年Yaeは鴨川自然王国で結婚式を挙げます。
新郎は大豆畑の研修生だったミツヲさん。

娘婿さんですね。
鴨川の古民家に居を定め、一子和麻君も誕生しています。

現在は鴨川自然王国で農のあるライフスタイルを実践しています。

というわけで、今は半農半歌手の活動をされているとのことです。

藤本敏夫の死因は?

藤本敏夫さんは、2002年7月31日58歳という若さで、肝臓ガンのため永眠されました。

藤本敏夫さんは1998年に大腸がんになり、手術して完治。
2001年には深刻な肝臓がんになり、肝臓を3分の1ほど切る摘出手術をしました。
そしてリンパ節にまで、がんが転移したと分かったときには、お医者さんから「手術はできない状態。放っておけば余命は1年でしょう」と言われたんです。
でも彼は、その言葉には「何もしなければ」というキーワードが秘められていると解釈して、「やるべきことは全部やる。だから1年より、もうちょっと長く生きられるだろう」と。

加藤登紀子さんは、以下のように語っています。

彼は死ぬことを「納得」したかったんでしょう。
あいまいな感じでごまかされるより、元気良く「あの世にいきなさい」と言ってくれるようなクールな関係で、相棒になってくれるお医者さんに会いたかったんじゃないかな。

お医者さんとの関係って本当に大事ですよね。

加藤登紀子さんについて

【名 前】加藤登紀子(かとう ときこ)

【生年月日】1943年12月27日

【血液型】O型

【出 身】満州国・ハルピン生まれ

【高 校】東京都立駒場高等学校

【大 学】東京大学文学部

2017年には74歳になられるんですね。

あと、満洲出身だったり、東大出身だったりといろいろとビックリする内容です。

加藤登紀子の歌

加藤登紀子さんの歌についていくつかピックアップします。

1966年 「誰も誰も知らない」でデビューします。

「赤い風船」で第8回日本レコード大賞新人賞受賞。

1969年 「ひとり寝の子守唄」で第11回日本レコード大賞歌唱賞受賞。

1971年 「知床旅情」がミリオンセラー

1987年 「百万本のバラ」が大ヒット。

新しいコンサートのやり方をしました。

ほろ酔いコンサート

1971年に始まったこのコンサートは酒が振舞われ、日本酒を呑みながらコンサートが楽しめるというもののようです。

振る舞い酒です。

盛り上がりそうですね。

紅の豚でジーナ役

加藤登紀子さんは映画「紅の豚」でジーナの声を担当されています。

36回やり直したシーンがあると話題になっています。

加藤登紀子さんは、大人の魅力たっぷりのジーナの声にピッタリでしたよね。

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