長野智子の夫・伊藤浩明は三菱商事。実家は?子供はいるの?

フリーアナウンサーの長野智子さんの結婚した伊藤浩明さんはどのような人物なのでしょうか。

今回は伊藤浩明さんと、長野智子さんの実家はや子供についての情報について調べました。

 

長野智子の夫・伊藤浩明

長野智子さんは、1990年に伊藤浩明さんと結婚しています。

伊藤浩明さんとはいったいどのような人なのでしょうか。

 

三菱商事のエリートサラリーマン

伊藤浩明さんはあの三菱商事に勤めているそうです。

長野智子さんの旦那・伊藤浩明さんは三菱商事に勤めているエリートサラリーマンだそうです。

伊藤浩明さんは、2015年に三菱商事のアルゼンチン支社である亜国三菱商事会社の社長に就任なさっています。

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エリートサラリーマンとのことで、きっと年収も良いのでしょうね。

 

年収は?

三菱商事でエリートサラリーマンの伊藤浩明さんは社長にもなられたとの情報がありますが、年収について気になりますよね。

まずは三菱商事の年収について調べました。

三菱商事の年収は、日本でも代表する商社のため年収はかなり高い部類にはいります。

三菱商事の年収の平均は、1391万円でした。

平成22年度の収益は、5200億円以上となり、営業キャッシュフローによる収益を増やし、投資キャッシュフローを減らし、優良企業のひとつといえるでしょう。

そんな三菱商事でエリートサラリーマンであり、東亜三菱商事の社長にまでなった伊藤浩明さんはちょっと違う部類なのかもしれませんが、年収はどのくらいでしょうか。

週刊新潮2007年9月13日号に、45歳当時の伊藤浩明さんの推定年収として「1500万円」という数字が挙げられていたようです。

この情報は、サラリーマンのときの年収なので、社長ともなると格段に上がるでしょう。

長野智子さんは玉の輿に乗り、順風満帆でしょう。

しかし、長野智子さんはもともと、商社マンは嫌だったようです。

長野智子さんは父親が商社マンだったこともあり、結婚するのは芸術家がいいと思っていたそうです。

商社マンは嫌だと言っていた長野智子さんは何故、商社マンの伊藤浩明さんと結婚したのでしょうか。

 

猛アタックの末結婚

伊藤浩明さんは、商社マンは嫌だと言っていた長野智子さんと、どのようにして結婚できたのでしょうか。

それは伊藤浩明さんの「猛アタック」だったようです。

伊藤浩明さんの、赴任先の海外から毎日国際電話をかけたり、誕生日に年齢と同じ数のバラの花束を贈るなどの猛アタックにより、結婚を決意したのだそうです。

女性はどうしても花束とかに弱いのですね。

一途な伊藤浩明さんに長野智子さんは結婚を決意したのでしょう。

 

結婚後は退職

長野智子さんの結婚後について見てみましょう。

長野智子さんは、1990年に伊藤浩明さんとの結婚を機に退職し、フリーアナウンサーとなります。

1995年に夫の転勤に伴い渡米し、1999年にニューヨーク大学大学院修士課程(メディアエコロジー専攻)を修了します。

帰国後は2000年4月から鳥越俊太郎さんと共にテレビ朝日「ザ・スクープ」のキャスターを担当します。

以後、他局の番組に出演していた時期もありましたが、2004年以降は「朝まで生テレビ!」「報道ステーション」「サンデースクランブル」など、もっぱらテレビ朝日系列の番組にのみ出演するようになります。

2014年には朝日新聞社の提携により運営されるハフィントンポスト日本版の編集主幹に就任。

また、2017年4月23日からはテレビ朝日「サンデーステーション」のキャスターに就任するなど、朝日系列のニュース報道の部門において、重要な役割を担っています。

結婚後、退職するものの、キャスターとして活動をされていますね。

 

子供は?

結婚後もフリーアナウンサー・キャスターとして活動をされてきた、長野智子さんですが、子供はいらっしゃらないようです。

 

実家はお金持ち?

先ほど長野智子さんの父親は商社マンとの情報が出てきましたが、やはり実家はお金持ちなのでしょうか。

調べてみると、長野智子さんの家系がスゴいと評判であることが分かりました。

先祖に上野国箕輪城主の戦国武将・長野業正がいるのだそうです。

長野業正は、あの武田信玄からも「長野業正がいる限り、上野を攻め取ることはできない」と言われるほどの名将として知られていたようです。

また、その長野業正の子孫で長野智子さんの曽祖父である長野桂次郎も、歴史上の人物として知られています。

長野桂次郎は、日米修好通商条約の批准書交換の派遣船・ポーハタン号で渡米し、その性格や容姿が好まれて、現地で「トミー」と呼ばれてアイドル扱いされ、「トミーポルカ」という舞踏曲まで作られるほどだったのだそうです。

ちなみにこの時、勝海舟や福沢諭吉、ジョン万次郎らが乗り組んだ咸臨丸が、このポーハタン号に護衛として随行していました。

長野桂次郎は、帰国後は米国公使館通訳として採用され、以後岩倉使節団に参加したり、ハワイ移民監督官、大阪控訴院通訳官などとして活躍しました。

曽祖父は歴史上の人物とのことで、ちょっと驚きですね。

アナウンサーとして長野智子さんを目標とする人も多いとのことで、今後も目が離せないですね。

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