吉川美代子の夫との離婚理由や結婚歴。子供は?独身でいる理由。

アナウンサー界の重鎮である吉川美代子さん。

以前はニュースキャスターとして活動していましたが、現在はバラエティ番組によくでていますね。

個人的には「全力!!脱力タイムズ」の吉川さんが好きだな〜。

あの番組めっちゃおもろいっすよね。

まあそんなことは置いといて、今回は吉川美代子さんの旦那などについて調べてみました。

 

吉川美代子のプロフィール

吉川 美代子(よしかわ みよこ)
出身地 神奈川県横浜市
生年月日 1954年05月08日(63歳)
血液型 AB型
趣味 ジャズを歌うこと
好きな動物 ラッコ
所属事務所 キャスト・プラス(取締役に就任)

1977年04月東京放送(現TBS)に入社
2014年05月31日にTBSを定年退職

京都産業大客員教授に就任

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そして現在はフリーアナウンサーとして活躍しています。

子供の頃の吉川美代子さん

黒柳徹子さんが絶賛したことがわかるくらいかわいいですね。

吉川美代子さんの若い時の画像

1977年4月東京放送(現TBS)に入社、この時の採用の倍率は300倍もの倍率の中で勝ち残ったそうです。

こんな倍率で入社するなんて本当にスゴイ人ですよね。

また若い頃は「TBSの松坂慶子」とまで言われていたとか!

2001年からはTBSアナウンススクール校長も12年間務めました。

厳しい鬼教官として新人アナウンサーからは恐れられていたそうです。

趣味のジャズを歌っている時

オシャレな趣味ですね。

吉川さんに似合います!

全力!!脱力タイムズ

この番組は今私がハマっている番組です。

くりーむしちゅーの有田哲平さんが司会でギャル曽根さんの旦那の名城ラリータさんが総合演出!本当に面白い番組で、明日使える豆知識なども身につきますw

 

元夫について

素敵なウエディングドレス姿です。

ずっと独身じゃないのかな?と思っていたのですが、実は2度の結婚歴があるそうです。

意外ですね。

そして2度の結婚から2度の離婚でバツ2現在は独身のようです。

吉川美代子さんの元夫の2人はどんな人なのでしょうか?

 

1人目の旦那

29歳と時に結婚。

吉川美代子の最初の夫は、同年齢の年収1億円以上あるというイタリア系アメリカ人の実業家

写真はないですが、仕事できる人ってなんかイケメンなイメージがありますよね。

 

2人の馴れ初め

アメリカに赴任した時に知り合ったそうです。

アメリカに赴任し、現地で愛を育んだのですね。

吉川美代子さんは仕事ができる女性アナウンサーですし、仕事関係で出会ったのでしょうか。

 

離婚理由

仕事が忙しくてすれ違い生活が続き、結婚生活を続けることが困難になってしまったからだそうです。

結婚して約1年くらい一緒に暮らした後、その後別居、そしてその半年後にはスピード離婚。

そして離婚の際はアメリカに住んでいたので両方弁護士を立て、

「家裁で調停だとか、お互い弁護士立てたりとかすっごい大変」だったと振り返っていた。

どんな事情があったのかは定かではないですが、日本と違い向こうはすんなり離婚とならないのですね。

もしかすると浮気や不倫があったのかもしれませんね。

2人目の旦那

32歳の頃に7歳年下の男性と結婚

2回目の結婚は、古美術商を営む日本人でしたが、『踊るさんま御殿』の番組中に、「夫婦喧嘩をして、風呂上がりだった夫を下着1枚で外に追い出した」というエピソードを披露した吉川美代子は、司会のさんまをドン引きさせていました。

申し訳ありませんが、馴れ初めについてはわからなかったです。

 

離婚理由

2回目の結婚生活は7年で離婚。

離婚理由は夫が仕事をしている時の君が一番好きだと言っていたのに土日の番組のメインキャスターをして欲しいという上司の依頼を夫に話さず決定したことで大事なことを相談もなしに決めるなと怒られ、仕事に理解あるふりをしていただけだと思ってしまい夫婦仲が険悪になりその後に離婚をしてしまったという。

仕事一筋で突っ走っている吉川美代子さんらしい離婚の仕方というのでしょうかね。

旦那は奥さんには家のことをしてほしいだとか甘えたいとかそういう人がいますからね。

2度目の離婚のことを吉川美代子sなんはこのように振り返っています。

「結婚は相手の家との付き合いもある。相手の家族との。相手のお母様への気の使い方が半端じゃなくて」と振り返った。

「こっちが休みでゆっく眠っていたいのに、お誕生日だから朝イチで電話をかけなければいけないとか、プレゼントを持っていかなきゃいけないとか」と具体的なエピソードを披露。

また、「久々の休みだから、ゆっくりしたいって言いたいのに言えない」と夫の家族のために満足な休養をとることができなかったと訴えた。

専業主婦になるタイプではないですし、結婚した旦那さんも吉川美代子さんのことを考えてくれたら離婚しなかったかもしれませんよね。

それにしても最初と言っていることが違う男性はあまり印象はよくないですね。

元夫とは現在も親交があり、時々食事など言っているそうです。

さらに再婚相手との間にできた子供も連れてきたりとかで仲が良いみたいです。

離婚してからも仲の良い関係って素敵ですよね。

お互い、相手との距離感や空気などもわかるので1から出会いより楽な気持ちで食事などもいけるって感じっすよね。

 

子供について

さて2度の結婚をしている吉川美代子さんに子供はいるのかどうか?ということです。

まず2度の結婚生活の期間は約8年間です。

しかしその中でも子供はできなかったそうです。

 

現在の年収

TBS時代の年収と現在の年収とで全然違うと言われています。

まずはTBS時代の年収

2005年時の年収2,300万で、TBS局長時代の年収は3,000万円だったそうで。

フリーになってからの年収

「フリーになってからの給料は、TBS時代に比べると3分の1まで減った。」と発言しているので、現在は年収1,000万位でしょうか。

年収1,000万でも充分稼いでいますよね、もしかしたら仕事の量を抑えている可能性もありますね。

まあ吉川美代子さんならどんな番組でも対応できますし、昔はなんか怖い人なのかな?と思っていたけど、バラエティ番組などで見る吉川美代子さんは知的だし、笑顔が素敵で評判も良いみたいですからこれからもギャラは上がっていくでしょうね。

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乳がんなの?

「人生が変わる1分間の深イイ話」の中で自身が乳がんという事を告白しています。

2000年10月頃に野良猫を拾い、ゲンと名付けて長年かわいがってきました。

名前の由来は吉川さんが好きな「源氏物語」の主人公の光源氏から「ゲン」をとったそうです。

しかし2016年5月、猫のげんさんは推定22歳、人間で言うと110歳の年齢でなくなってしまいます。

そうして吉川美代子アナウンサーは初期のがんであることが発覚。

猫のゲンさんもなくなったために自らの健康を気遣って入院して手術も受け、抗がん剤治療も受け半年に一回検査もしているという。

吉川美代子アナウンサーの両親もがんでなくなっており20種類以上の漢方薬を毎日飲んでいるとのこと。
また、どこの部位のがんかは明かしていません。

 

そして自分が「がん」であることをテレビでさらっと発表しちゃうところがなんか強い女なんだな〜と感じてしまいますね。

寂しい話にはなりましたが、愛猫のゲンさんの死が吉川美代子さんのガンの早期発見になったことになります。

今までは癒しと与えてくれたゲンさんの死後、主である吉川美代子さんには健康であったほしいという願いが通じたようにも思えますよね。

ゲンさんありがとう・・・。

 

また他にも病気になったことがあるそうなのです。

吉川さんが40代半ばの時に、粘膜下子宮筋腫を患っています。

子宮筋腫は女性の病気の中でも特に多い病気で、40歳の4人に1人は子宮筋腫を持つと言われています。

粘膜下筋腫は出血しやすく、吉川さんも会社で何度も倒れたそうです。

そして45歳の時に、子宮摘出手術を受けています。

子宮筋腫自体は良性の腫瘍なので命にかかわることはありませんが、放置すると大きくなったり不妊の原因になることがあります。

まれに肉腫などの悪性腫瘍(がんの一種)の場合もあるようなので、早めの治療が必要だそうです。

40歳と超えると病気になる確率も高いですが、若い時にも病気になる可能性はあるので何歳でも精密検査をし、早期発見した方がいいですよね。

 

猫の恩返し

一緒に一晩過ごすようになりましたが、明け方になると「外に出たい」と大きな声で鳴くので、自由に部屋に入って眠れるように、猫専用の出入り口を取り付けたそうです。

また元野良のため、窮屈に感じないように部屋の壁を取り除くリフォームもしたんだそうです。

吉川さんの母が亡くなった時に泣きながら遺骨を抱いて自宅に戻ると、スズメ、ハト、見たこともない大きな野鳥がゲンによって狩られ、吉川さんへの贈り物として置いてあったんだそうです。

リアル猫の恩返しですね!Σ(゚Д゚)

このリアル猫の恩返しについてネットの声は・・・

ゲンちゃんを愛していたからこその恩返しだったのですね。

愛をギブすれば愛をテイクしてくれるのですね。

 

アナウンサーになるきっかけ

吉川アナは、子どもの頃方TBSラジオをよく聴いていて、当時からアナウンサーに憧れていたそうです。中学時代、TBSラジオ「こども音楽コンクール」に出演したことがあり、生徒を代表してブラスバンド部の紹介をした際、司会の山本文朗(当時TBSアナウンサー)に「素晴らしい紹介だったよ。君は将来の吉川アナウンサーですね」と、褒められたことが嬉しくてアナウンサーを志したといいます。

就職活動時、当時の東京放送(現・TBS)のアナウンサー採用試験を受けた際、3次試験で1分間の自己紹介をする項目があり、その時の面接官の一人が偶然にも山本でした。その為、吉川アナは事前に考えていた自己紹介内容を変更し、中学時代に山本から言われた一言がきっかけでアナウンサーを目指すようになったエピソードを話して◎採点をつけられ見事合格しています。

中学時代からの縁で、入社以降も山本からは度々声をかけて励ましてもらうなど親しく接してもらい吉川アナは山本を「文(ぶん)」さん、山本は吉川穴アナを「美代子」と呼び、娘のようにかわいがられたといいます。

入社2年めの1978年には、アナウンサーを志すきっかけとなった「こども音楽コンクール」の山本から引き継ぐ形で司会に抜擢されて吉川アナは大変喜んだといいます。

1981年の1月3月には、アナウンサーと国会記者クラブを兼務しています。帰宅時の道のりで実況の訓練をするなど努力を重ね、28歳で念願の報道の仕事に就きます。

1984年には「JNNニュースコープ」の平日版のメーンキャスターの就任。女性ニュースキャスターの草分け的存在になりました。しかし当時は「女には原稿を読ませるな」と言われるような男社会。原稿を読み間違うことがないよう細心の注意を払いましたが、極度のプレッシャーで円形脱毛症、胃けいれんなどに悩まされる日々が続いたと言います。

プレッシャーでしんどかった時も山本文朗さんが頻繁に声をかけてくれて励ましてくれたそうなのです。

当時のテレビ局は、業界屈指の男社会でしたから、彼女の成功に嫉妬する男性からのイジメに相当苦しんだようです。それでも「仕事に決して穴は空けない」と、男性には分からない体調不良や痛みがあった時でも、ドライヤーで下腹を温めながら現場に向かったそうです。それほどの強い意志を抱いて定年まで働き通した吉川美代子でしたが、20代の頃には「フリーにならないか?」という話もあったとか。

それでも会社を辞めなかった理由は「フリーなったら、叱ってくれる厳しい先輩がいなくなるから」。それは裏を返すなら、吉川美代子自身の「私がその厳しい先輩になる」という、並々ならぬ決意の表れに他ありません。ゆえに、吉川美代子は、後輩アナウンサーにとって恐れられる存在に徹してきたのでしょう。

昔の時代は女性に厳しいかったのですね。

時代は変わり、今の時代では女性アナウンサーが看板になってタレントのような仕事もしていますし、考えられないことですよね。

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