内海桂子の夫の成田常也。子供は?若い頃について!ナイツとの関係は?

漫才師、女優をされていて、漫才協会名誉会長にもなられた内海桂子さんの夫はどのような方でしょうか。

今回は内海桂子さんの夫について注目して記事をまとめました。

 

内海桂子の夫・成田常也氏について

内海桂子さんの旦那さんは、成田常也さんという男性です。

成田常也さんがどのような男性なのか、プロフィールや話題となっている情報についてまとめました。

 

プロフィール

成田常也さんのプロフィールは気になる人が多いようでYahoo!では「成田常也 プロフィール」というキーワード候補が出てきます。

あまり情報は多くありませんでしたが、プロフィールについて記載します。

名前:成田常也(なりた・つねや)
生年月日:1946年
出身地:不明
血液型:不明

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ほとんど不明とのことでした。

年齢については以下の情報がありました。

なんと内海さんの息子さんよりも若いんです!
その差は24歳!

写真からはあまり差を感じられませんでしたが、24歳も離れていたようです。

 

職業はマネージャ

成田常也さんの職業について調べたところ、現在は内海桂子さんのマネージャをされているようです。

成田常也さんはアメリカの航空会社で営業の仕事をなさっていました。
会社に3年勤めた後に退職し、1993年に内海桂子さんの専属マネージャーとなります。
成田さんは、内海さんのマネージャーとなり、仕事で忙しい内海さんのために、炊事洗濯をすべて引き受け、妻が仕事に出かける際にはマネージャーとして荷物持ちなどの雑務も行ってきました。
そのため、内海さんは夫の仕事ぶりについて、「私のために本当によくやってくれるのよ」と周囲に語っています。

もともとはアメリカの航空会社で働いていたとのことで、エリートにも感じられますね。

しかし、会社を辞めて奥さんのマネージャをされているのは、内海桂子さんへの強い愛情があったからなのでしょうかね。

 

猛烈アピールの結果結婚

成田常也さんはもともと航空会社で働いていたとのことですが、内海桂子さんとは何がきっかけで知り合ったのでしょうか。

馴れ初めについて調べました。

成田さんと内海さんが出会ったのは、今から28年前1987年であり、内海さんが64歳のときでした。
当時、アメリカで航空会社の営業担当だった成田さんが、内海さんにロサンゼルスでの公演を依頼したことがきっかけです。
実は、成田さんは子供の頃にラジオで内海さんの漫才を聞いてファンになり、大人になったら内海さんに会いたいと胸に秘めていました。
そして、アメリカから帰国した成田さんはアメリカ公演の出演について内海さんにお礼を言うために、内海さんの楽屋を訪れたところ、着物姿の内海さんを見て一目惚れしたそうです。
その後、アメリカに戻った成田さんは毎日内海さんに国際電話を1日1回必ずかけ、手紙も1日1通必ず送るようになりました。
そして、成田さんが手紙を送り始めてから300日が経過したとき、300通目の手紙には、こんな言葉が書かれていたのです。
“実はずっと前からお伝えしたい事がありました。僕と結婚してください”
成田さんは、内海さんと交際していないにもかかわらず、いきなり求婚しました。
このとき、内海さんは成田さんからの手紙でのプロポーズを嬉しく思いましたが、本当に結婚する気があるのか確かめるため、以下のように返事を書きます。
“私のそばに来るつもりならちゃんと日本で職業について下さい”
その後も、手紙のやり取りが続き、半年経った頃、成田さんは内海さんに宛ててこんな手紙を書いています。
「どうも成田です。実は今日本に帰って来てるんです。
アメリカの仕事は辞めて日本で就職しました
この手紙がきっかけとなり、二人は交際を開始し、11年後の1999年に24歳の年の差をはねのけて結婚しました。

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これはすごい話です。

言われた通り仕事を辞めて日本で就職をした成田常也さんの愛は本物です。

 

子供は?

内海桂子さんは、過去に未婚のまま2人の子供を産んでいました。

1945年〜 吉原で団子の売り歩きや田原町のキャバレーの女給として働きながら舞台に立つ日々を送る。そして林家染芳(後の林正二郎)とコンビを組み、その人と未婚のまま長女を出産します。
未婚のまま2人のお子さんを産みますが、旦那がヒロポン中毒(覚醒剤中毒)となり離別。
婚姻届を出したんだけど、届けたのが相手の本籍地の呉市(広島県)だったから、原爆や戦後のどさくさで受理されてなかったとのことでした。

相方とのお子さんがいたのですね。

それにしても原爆やヒロポンというキーワードが出てくると歴史を感じます。

 

内海桂子について

ここからは、内海桂子さんの話題となっている情報についてまとめています。

 

若い頃

内海桂子さんの若い頃の情報について調べました。

1938年、16歳の時に高砂屋とし松とコンビで浅草橋館に漫才初出演し、その後1950年に弟子の好江と組んだ漫才コンビ「内海桂子好江」は約半世紀にわたって人気を集めました。
このとき桂子さんは28歳、好江さんはまだ14歳でした。

写真が白黒なので少し時代を感じますね。

 

ナイツとの関係

内海桂子さんとお笑いコンビ「ナイツ」とはよくテレビで出ていますが、師匠と弟子の関係です。

内海桂子さんとナイツのエピソードはいろいろありますが、ナイツが内海桂子さんから説教をされた話を引用します。

2014年12月9日放送の「突然!!○○禁止生活~それって本当に必要ですか?~」で、漫才コンビ・ナイツの塙宣之が、師匠・内海桂子にタメ口で話しかけて説教を受けた。
番組ではナイツの二人が、劇場の楽屋で敬語禁止の生活を実践し、先輩芸人と仲良くなれるかを検証した。
塙は数々のベテラン芸人らにタメ口で話しかけ、最後には、漫才協会名誉会長で師匠の内海にも挑んだ。
塙は「桂子ちゃん」「桂子」などと、徐々にタメ口を使った。
塙が「ヤバいヤバい」と話かけたところで、ついに内海は厳しい口調で
「そういう言葉を使うようになるからおかしいんだよ」
「芸人って言うのは、行った先の格式に合わせて物を言わなきゃ」
と怒りはじめた。
その後、番組スタッフがネタばらししたが、内海は説教を続け「いかなる場合もそれは通らない。自分の人格疑われちゃうでしょ?」などとナイツの2人に忠告した。
相方の土屋伸之は、最後に「やっぱり師匠には敬語が自然ですよ」「それがやっぱりお互いのストレスをなくすもの。
壁を越えたらストレスしかないですね」ともらした。

内海桂子さんとナイツはよくテレビ番組に出ていて、楽しませてくれていますね。

今後もテレビなどで見られるのを楽しみにしています。

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