宮崎ますみの夫は?病気との噂!乳がんが発覚?ステージは?子供は?

女優として活躍し、結婚、出産と順風満帆だった宮崎ますみさん。

しかし、その後病気になり、乳がん発覚か?さらに離婚?と様々な噂がありましたが、その真相についてまとめてみました。

 

宮崎ますみについて

 

宮崎ますみさんはどのようにして芸能界に飛び込んできたのでしょうか。

1983年(昭和58年)、映画『アイコ十六歳』への出演で芸能界デビュー。
1985年にはクラリオンガールに選ばれ、その後、女優としてテレビや映画で活躍してきた宮崎ますみさん。
抜群のスタイルを披露したヘアヌード写真集は30万部のベストセラーとなり、話題になりました。

若くして女優デビューし、いろいろなドラマで目にした記憶がありますが、なんとヘアヌード写真集も出されていたのですね!

 

クラリオンガール

そもそもクラリオンガールって…?

宮崎ますみは1985年、第11代クラリオンガールに選出されました。
クラリオンガールとは、カーオーディオメーカー・クラリオンが1979年(昭和54年)から約30年に渡って毎年選出していたキャンペーンガールで、第6代クラリオンガールに烏丸せつこ、第14代に蓮舫、第16代にかとうれいこが選ばれるなど、人気芸能人への登竜門として知られていました。

当時はクラリオンガールに選ばれるというのは、将来を約束してもらえるというような、名誉あるコンテストだったんですね!

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ビー・バップ・ハイスクール

そして、宮崎ますみさんといえば、一躍有名になったのが「ビー・バップ・ハイスクール」で演じた三原山順子。

トオルとヒロシを呆れながらも優しく見守る姐さん的キャラクターに、女子は憧れました。

確かに憧れました!

こんな姐さんをかっこいいと思ってしまうような世代でした!

目鼻立ちの整った、本当に美しい顔をしていますよね。

 

ヘアヌード

そして、とても衝撃的だったヘアヌードについて調べてみました。

出演した映画『XX美しき凶器』や『屋根裏の散歩者』でヌードとなり、また写真集『XX-HOLY BODY』、『XXX』ではヘアヌードも披露して話題となった。

美しい人は脱ぐとさらに美しい!

そしてこのプロポーション!天は二物を与えるのですね、やはり…。

 

宮崎ますみの夫

女優として活躍中の真っ只中、宮崎さんは結婚。

そして同時に日本を離れます。

約10年間テレビ、映画、舞台などで活躍をしたが、1994年にロサンジェルスに活動拠点を置く日本人カメラマンと結婚したのを期に芸能界を退いて米国に移住。

なんと、絶頂期に日本の芸能界をやめて渡米したそうです。

とても大きな決断をされたんですね!さすが姐さん!

 

子供は?

その後、米国で長男と次男を出産します。

1995年(平成7年)に長男、1997年(平成9年)に次男を出産。
現在は2児の母である。

顔立ちがはっきりしていて、特徴的な美人の宮崎さん。

お子さんもきっと綺麗な顔をしているんでしょうね!

今頃はもう成人されて、立派な男性ですね!

イケメンに育っていることでしょう。

ちなみにご主人については、日本人のカメラマンであるということ以外、ほとんど情報が得られず…残念。

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仕事の再開、やがて離婚

育児が落ち着いてきて、また働きたい!と思うのは当然のこと。

お子さんたちが学校に上がり手が掛からなくなると、そのころの生活の場であった楽園ハワイで「自分は与えられた命を十分に活かして生きているだろうか?」という疑問を抱き、自己との対話のため、長年の夢でもあったインドを旅するなかで、日本へ戻って仕事を再開することを決意した。

仕事を再開しようと決意するまでの経緯がすごいですよね。

やはり、結婚しても出産してもなお「さすが姐さん!」という感じで本当にかっこいいです!

しかし、のちに離婚…。

ブログで「昨年11月に離婚し、今年3月末に母子家庭生活が始まりました」と改めて離婚を公表した。

愛息2人との親子3人での生活の様子などもブログに綴っており、離婚は「ものすごくエネルギーを使うもの、とよく聞いていたような気もしますが、私の離婚は意外とさっぱりとした方だったのかもしれません。
けれど人並みに涙もたくさん流しました」と告白。

ただその涙は「離婚に対する後悔の念や、あの頃に戻りたいといった執着心ではなく、次から次へと走馬灯のように変化していく人生の哀しみに、涙が流れたのでした。
“今を生きる”限り、同じ形を留めておくことはできないから…」と心境を明かした。

夫婦にしかわからない様々な事情もあったのでしょうね。

 

襲いかかる乳がん

前向きに頑張っている人のもとにも病魔は襲ってくるのです…。

2005年10月――。

家族が待つハワイへ戻る前夜、がらんとした新居で1人パッキングをしているとき、ますみさんの携帯電話が鳴った。
表示されている番号はまったく知らないものだった。

「誰だろうと思って出たら4~5日前に外来で精密検査を受けた病院の先生からだったんです。
『この前やった細胞診の結果がちょっと早く出たんですが……』と前置きがあってから『悪性だったんです』と告げられました。
『それって乳がんってことですか?』と聞き返したら、『はい』と言われて……。
私はどこか人生を客観的に見ているところがあったので、そのときのがん告知に〈次なる人生の展開、そう来たか……〉といった気持ちが先に立ち、ショックは電話を切ってから、じわじわとこみ上げてきましたね。

でも、その2年間ほど、私の周りにやたらとがんになった人が多かったんです。
ある意味で私にはがんに対する心の免疫ができていたのかもしれませんね。
私は1人のときに告知を受けたわけですが、それでよかったと思っています。
まずは人に話す前に、自分自身のなかで心の整理をして、きちんと受け止めたかったから……」

どんなに周りでガンになる人が多かったとしても、自分がガンだと宣告されたら誰だってショックですよね。

ステージはどの程度のガンだったのでしょうか?

すぐに手術が行われた3日後には痛みが消え、自宅療養に切り替わったがんの再発を防止するために受けた治療で、ステージは1だったものの、宮崎にありとあらゆる副作用が出てしまった。

ガンの闘病は経験したことのある人にしかわからない痛み、辛さでしょう。

手術は問題なかったのですが、その後のホルモン治療には参りました。
抗がん剤ほど副作用がないと聞いていたのですが、どんどん体が壊れていくという感覚でした。
首と肩の凝りががっときて、疲れが激しくなって衰弱して、本当に病院に行くのがやっとという状態。母親ですから、家族の料理を作るんですが、キッチンに1時間も立っていられない。
これを、5年続ける必要があるというので、つらかった。

闘病しながらの育児は想像を絶するものだったと思われます。

2009年(平成21年)3月、株式会社ヒプノウーマンを設立し、代表取締役に就任。
ヒプノセラピストでもある。

闘病を続けながらも、現在はヒプノセラピストとして活躍されているとのことです。

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