大竹しのぶの元旦那・服部晴治は超モテ男!中村晃子からの略奪婚だった!

大竹しのぶさんは1970年代から活躍している大物女優で、2度の結婚をしています。

1人目は服部晴治(はっとりせいじ)さん、2人目は明石家さんまさんです。

この記事では大竹しのぶさんと服部晴治さんについて調べてまとめました。

大竹しのぶの一人目の元旦那は服部晴治!

大竹しのぶさんが最初に結婚した服部晴治さんとはどのような人でしょう。

職業は、TBSプロデューサーでTBSのドラマディレクターでした。

1982年、大竹さんが25歳で服部さんは42歳の時に結婚したのでした。大竹しのぶさんより17も年上の男性でした。けっこう離れてますよね。

学歴、出身大学についての情報は見当たりませんでした。

 

馴れ初め

大竹しのぶさんが出演していたドラマ「恋人たち」がきっかけで付き合い始めました。

スポンサーリンク

そして、1982年に結婚をされています。

実はこの結婚は、略奪婚だったんですよね。

 

実は略奪婚

結婚する前、服部晴治さんは女優の中村晃子(なかむらあきこ)さんと交際しており、大竹しのぶさんも服部晴治さんに好意を寄せていくなかでその事実を知ります。まだ結婚してないとはいえ、三角関係の渦中にいた大竹しのぶさん。

服部晴治さんは中村晃子さんと結婚寸前でしたが大竹しのぶさんは略奪し結婚に至ったんです。

当時、すでに中村晃子さんと服部晴治さんは同棲していたのですが、服部晴治さんの行動がおかしいということで、中村晃子さんが仕事終わりの服部晴治さんの車を尾行したところ、大竹しのぶさんをピックアップ。しかも信号待ちの間、大竹しのぶさんとの熱いキスシーンを目撃し、同棲解消となったのでした。

中村晃子さんからは「泥棒猫」と罵倒されたものの、大竹しのぶさんは17歳の年の差婚を果たした。

ドラマ関係者によると、服部晴治さんはドラマを手がける売れっ子ディレクターで、しかもバツ2のモテ男だったんです。一部の先輩女優からは、“枕営業”で役を得る大竹しのぶさんとは共演できない!との声があがっていたそうです。

これをきっかけに大竹しのぶさんは「魔性の女」という別名を得てしまったのでした。しかし、大竹しのぶさんは天然で、すごく愛嬌がある女性ですから、惹かれてしまう男性が多いのはわかります。

 

子供は息子が一人誕生!

いろいろありながらも結婚をした大竹しのぶさんと服部晴治さんですが、お二人のあいだにできた子供もが大竹二千翔(おおたけにちか)さんです。

1985年生まれ。慶應大学卒業後アメリカで就労するものの、一年半で飽きて帰国。

芸能事務所にて大竹しのぶとIMALUのマネージメントを担当後、芸能情報総合サイト「narrow(ナロー)」を運営して、現在に至ります。

 

服部晴治と死別

結婚して1年を過ぎた頃、服部晴治さんに胃がんが見つかります。しかも、医師から余命1年を宣告されたのでした。その時、大竹しのぶさんは妊娠していましたが、『それでも子供を産みたい』と長男を出産したのでした。

妊娠して、夫に余命宣告と聞いたら、これからの子育てがしんどいものになることは間違いないですから、出産を諦める人もいそうですが、大竹しのぶさんは何がなんでも子供は産む!と強い意志があったようです。

こうして1987年、大竹しのぶさんは30歳でシングルマザーとなったのです。

 

大竹しのぶの二人目の元旦那は明石家さんま!

二人は、1986年の『男女7人夏物語』で恋人同士の役で共演しました。

翌1987年にも続編『男女7人秋物語』、さらに翌年の1988年にも同じく二人で共演した『いこうかもどろうか』の映画公開直後に結婚したのでした。

 

明石家さんまとは不倫関係だった?

大竹しのぶさんと明石家さんまさんとの交際を、一部のマスコミでは「病気の夫をよそに不倫」と報道しました。

明石家さんまさんは1985年から89年まで、好きなタレント男性の一位を独占していた「日本一モテる男」だったんです。

服部晴治さんはかなりの遊び人で、大竹しのぶさんと結婚後も銀座のクラブにも彼女が何人かいました。ところが、胃がんになって、長期入院することに。大竹しのぶさんは、ひたすら夫を看病する健気な妻を演じていましたが一方では、服部晴治さんに内緒で、ドラマで共演した明石家さんまさんとデートを繰り返していた。と、元TBS関係者は語っています。

そんなわけですから、明石家さんまさんとの馴れ初めを当時は快く思わない視聴者も少なくなかったといいます。

 

しかし、これにはまた別のエピソードがあるんです。

実は、明石家さんまさんと服部晴治さんは、公私ともに親交がある仲だったんでうs。明石家さんまさんも「友達関係で一緒に遊んだりテニスもしていた」と語っています。

病院へ服部晴治さんのお見舞いに行った際に、明石家さんまさんは服部晴治さんから『テニスを一緒にやりたい』と言われ、なにせ余命宣告されていますから、そのお誘いを一時は断ろうと思ったようですが、結局のところ、病院から許可をもらわずにテニスをしたんだとか。

まさにその時なのか後日なのかは不明ですが、「しのぶをよろしくお願いしますよ」と服部晴治さんに明石家さんまさんは言われているんですよね。

明石家さんまさんのことを認めていた証拠でしょう。

そして、服部晴治さんが亡くなってから、半年くらい眠れない夜が続いたという大竹しのぶさん。寂しくて誰かに電話したくても、真夜中に親しい友人に何度も何度も連絡はできません。

それでも、明石家さんまさんだけは夜中の3時に電話しても必ず起きていて、大竹しのぶさんの話を聞いてくれたんだとか。

それあh、服部晴治さんの遺言があったからなのかもしれません。

そうでなくとも、そんなことをされたら、そりゃあ好きになりますよね!

本当に優しい人でした。と、大竹しのぶさんは当時を振り返っています。明石家さんまさんの優しさが大竹さんに響いたということですね!

 

大竹しのぶと明石家さんまが離婚!

明石家さんまとの結婚4年後である1992年に離婚しています。

お二人の間にIMALUさんが生まれていたにもかかわらず、離婚してしまった原因とはなんだったのでしょうか。

大竹しのぶさんと明石家さんまさんとの離婚原因は、複数あります。ただもっともよく言われているのが、「専業主婦を望んだ明石家さんまさんと女優業を続けたかった大竹しのぶさん」との間に食い違いが出てきてしまったこと。

明石家さんまさんは、大竹しのぶさんには家にいてもらって、自分が帰ってきたらご飯を作って欲しかったそうです。

実際、明石家さんまさんは結婚当時、大竹しのぶさんが家に入るという約束があったことを話しています。

しかし、根っからの女優で憑依型女優となんて言われ方もする大竹しのぶさん。子供を産んでしばらくは良かったものの、長く家にとどまることはできなかったようですね。。「女優の自分を受け入れてくれない男性との結婚は無理」と気づいたんだとか。

今後の再婚については、「もう結婚はしなくてもよいかな」と語っています。

 

しかし!

衝撃なのは、明石家さんまさんと離婚が成立した1992年に舞台『真夏の夜の夢』を演出した野田秀樹さん(当時55歳)との不倫関係にあることが表に出るのです。当時、明石家さんまさんは寝耳に水で、「真夏の夜の悪夢だ!」と発言して、さすがは日本一のお笑い芸人というところを見せたのでした笑

大竹しのぶさんと明石家さんまさんは離婚してしまいますが、娘のIMALUちゃんも現在活躍していますし、両親は離婚したとはいえ、親子共演して仲が良さそうで、いい家族の形になりましたよね!

 

大竹しのぶと野田秀樹は事実婚状態にあった!

↑で名前が出た野田秀樹さんは、大竹しのぶさんと1994年から1998年までの5年間、同棲生活を送っていました。もちろん、子供たちも一緒に。

大竹二千翔さんが8歳から13歳、IMALUさんが3歳から8歳まで、一緒に生活していたんだとか。

野田秀樹さんは実の子供のように二人に接したそうですが、IMALUさんは当時は父親と言うべき存在が二人いて困惑したそうですが、今ではその当時の生活について、「楽しかった」と語っています。

今でも、野田秀樹さんとはこうして一緒にBBQをしたり、一緒に過ごすことがあり、親交は深いようです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

Copy Protected by Chetan's WP-Copyprotect.