多岐川裕美の元夫の阿知波信介との結婚までの馴れ初め&離婚理由は?

多岐川裕美の元夫の阿知波信介さんについてご紹介します。

多岐川裕美の元夫の阿知波信介について

阿知波 信介は、日本の俳優、芸能プロモーター。
本名:阿知波 信雄。
島根県益田市出身。
元妻は女優の多岐川裕美、娘はタレントの華子。
俳優活動の後マネージャーへ転身、田中プロモーション副社長、
アクターズプロモーション副社長、兼アクターズエージェンシー社長を務めた。

1965年、丸山誠治監督作品『太平洋奇跡の作戦 キスカ』で映画界にデビュー。
1967年から円谷プロダクション制作の
特撮テレビドラマ『ウルトラセブン』のソガ隊員役で活躍するが、
それ以降俳優として大成することはなく、俳優業を引退した。

三船プロダクションに入り、新人女優の多岐川裕美のマネージャーとなる。
その後多岐川と結婚。
同社から田中プロモーションが分裂した際に行動を共にし、
さらに再分裂した際は竜雷太を社長に担いで秋野暢子、多岐川らと
アクターズプロモーションを設立した。
1988年、多岐川との間に娘・華子が生まれるが、1997年に離婚。
多岐川とは結婚後、所属事務所であるアクターズプロモーションの
副社長と所属女優という間柄になり、離婚後もこの関係は続いた。

2007年5月2日から行方不明となり、2日後の5月4日に
鹿児島県霧島市の犬飼滝で遺体で発見された。
67歳没。
死因は鹿児島県霧島市にある「犬飼の滝」から身を投じたこととされている。
鹿児島県警は状況から自殺と断定した。
2004年に脳梗塞により入院、
死去する前の数年は高血圧に悩まされていたという[2][3]
アクターズプロモーションは同月、破産申請。
負債総額は5億とも言われる。

ウルトランセブンのイメージを持ってる方がほとんどではないでしょうか。
その後もご活躍されると思っていた方も多いと思いますが、
意外とその後は、目立つこともなく、
どちらかというと、珍しい名前や彼の俳優業としての
実力で有名になったかというよりかは、
多岐川裕美さんの旦那としてのイメージの方が先行してしまうのですから、
彼にとっても辛かったのではないかと思います。
そして娘が産まれようやく幸せな日々がすごされるかと思いきや、
すぐに離婚してしまうところもとても残念なところだったと思いますし、
結果的にはウルトラセブンが最盛期だったというのも
悲しい現実だなと思ったりします。

結婚までの馴れ初め&離婚理由は?

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馴れ初めについて

多岐川裕美さんと元旦那・阿知波信介さんとはどのようにして出会ったのでしょうか?
今回は、多岐川裕美さんと元旦那・阿知波信介さんの馴れ初めをお伝えしたいと思います。
元旦那・阿知波信介さんと多岐川裕美さんとの出会いは三船プロダクションが関係していました。
三船プロダクションに女優として所属していた
多岐川裕美さんとマネージャーとして所属していた阿知波信介さん
という関係で出会いました。

阿知波信介さんはもともと子供に
人気のウルトラマンセブンのソガ隊員として演じられていた俳優さんでした。
当時、阿知波信介さんは
芝居の悩みもあったそうで、そのことで女優の多岐川裕美さんに相談
しているうちに恋仲になっていったそうです。
そして、1984年8月に多岐川裕美さんは阿知波信介さんと結婚されました。

彼にとってはすてきな美しい女優さんと結婚できたのですから、
本当にこの時は幸せいっぱいだったのではないでしょうか。
男としてもしっかりと稼いで、頑張るという気持ちが何だか読み取れますよね。

離婚について

ところが残念なことながら、
お2人の生活は長く続きませんでした。
娘さんが生まれた後間もなく離婚してしまうのですが、一体どうしてなのでしょうか。

きちんとした理由は分からないのですが、不倫ではないかといわれています。
そういった声もちらほら聞かれます。
離婚後多岐川さんは、今でも女優として活躍されているのは周知の通りですよね。
さらに衝撃的だったのは旦那のその後です。
実は2007年に鹿児島の滝でみずから命を絶っていたのです。
以前から脳梗塞を患っていて高血圧でも悩んでいたそうです。
なので病気が原因で命を絶ってしまったのではないかと言われているんですね。
また彼が離婚のあとに
純子さんという嫁と再婚しています。
年齢は20歳年下で、2人の間に子供がいたかどうかわかりません。

彼が離婚したことから間もなくして
もう1人の方と結婚してしまいます。
そのあとも結果的には、彼の生活は上向いてくるわけではなく、
むしろ大病を患い、精神的にもまいっていたのではないかと思います。


そのせいか、彼は自分の命を絶ってしまうのですから本当に残念だと思います。
どうして彼が自殺してしまったのかはその原因がわかりませんが、
ウルトラセブンで活躍していた時のように頑張っていれば、
乗り越えられたのではないかと考えると、とても残念ですね。
人生というのはうまくいかないときもありますし、
そういう時だからこそ、誰かと一緒に乗り越えたいと思うものですが、
彼は、それができなかったのでしょうか。

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