久我美子の夫の平田昭彦はどんな人?今現在の顔と若い頃のキレイすぎる画像。

久我美子さんは日本の女優です。

夫、平田昭彦氏や若い頃のエピソードを調べてみたいと思います。

 

プロフィール 久我美子さん

本名 小野田 美子(おのだ はるこ)
旧姓:久我(こが)
生年月日 (1931-01-21) 1931年 1月21日(86歳)
出生地 日本 東京府 東京市 牛込
国籍 日本
職業 女優
ジャンル 映画、テレビドラマ
活動期間 1946年 – 2000年
配偶者 平田昭彦

華族

久我家は村上天皇までさかのぼり、その流れをくぬ由緒ある家族の出身です。

父親の久我道顕氏は侯爵として貴族院議員を務めた人でした。

そんな久我家でも戦後になると経済状態は悪化していました。

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祖父によるなれない事業が失敗して、多額の借金を抱えてしまったのでした。

ニューフェースとして東宝へ

戦後は家族制度が廃止され、生活もますます圧迫します。
それを何とかしようと、久我さんは1946年の東宝第1期ニューフェース入りを決断します。

当時、家族出身で映画界に入るのはかなり話題になったということです。

戦争の影響はこんな所にもくるんですね。

映画デビュー作品としては

映画でもデビュー作品は1947年の豊田四郎監督による「4つの恋の物語」です。

また、1950年の今井正監督による「また逢う日まで」は、ガラス越しのラブシーンが日本映画史にも残る名シーンとなりました。

エピソード・また逢う日まで

「また逢う日まで」はラブシーンが話題になった作品です。

当時は映画ではラブシーンでもタブーが多く、このシーンを撮ることに躊躇しなかった女優魂が感じられる作品となっています。
ストーリーは・・。

社会派の巨匠で反戦映画も多く手掛けた今井正監督による作品でフランスの作家
ロマン・ロランの原作を元にして描かれた反戦悲恋物語。

昭和18年、田島三郎と小野蛍子は空襲警報が鳴り響く地下鉄のホームで出会う。
三郎は幼い頃、母を亡くし厳格な父のもとで軍国主義の塊のような家庭で育ち、長兄は戦死、次兄は父同様に軍国精神溢れる青年将校で三郎にもそれを求めていた。
母と二人貧しくも愛情あふれる自分とは違う家庭で生きる蛍子に三郎は魅かれていく。

映画出演作品について

寝盗られ宗介(1992年) – あゆみ 役
今日から俺は!!(1994年) – 早川京子 役
首領を殺った男(1994年) – 大木戸加那 役
鬼平犯科帳(1995年) – 清 役
二宮金次郎物語(1998年) – ゆき 役
VENUS(2002年、韓国映画)

テレビで女優デビュー

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久我美子さんは1988年にフジテレビのドラマ「熱っぽいの!」で女優デビューしています。

歌手デビューでは

1992年には「好きだから」で歌手としてデビュー。

演技力でも実力を発揮

家柄、容姿申し分なく更に演技面も実力を見せ、その芯のとおった内面から溢れる気品が見え隠れし彼女を輝かせた。

1948年黒澤明「酔いどれ天使」、1950年溝口健二「雪夫人絵図」、1952年市川昆監督「あの手この手」、1955年山本薩夫「愛すればこそ」、1958年小津保次郎監督「彼岸花」、1960年大島渚監督「青春残酷物語」、1961年野村芳太郎「ゼロの焦点」
と上げれば限りない程日本映画史を代表する名監督達がこぞって彼女を起用した。

舞台出演作品について

舞台出演作品については以下の通りです。

雪姫堂写真館(1993年、名古屋中日劇場) – おりん 役
貸席の女郎(1997年、俳優座劇場) – 優 役
大石内蔵助(1997年、新橋演舞場) – 瑤泉院 役
楽劇リコリス(1997年、埼玉県川口市リリアホール) – リコリス 役
ビロクシーブルース(1998年、パナソニック・グローブ座) – デイジー・ハニガン 役
喧嘩太平記(1998年、明治座・名古屋御園座) – 加代 役
ハムレット(1998年、新宿紀伊国屋サザンシアター) – オフェリア 役

有名所をやられているんですね。

猛烈な求婚の末に結婚

1961年には、俳優の平田昭彦氏の猛烈な求婚の末に結婚に至ります。

平田昭彦氏の経歴

生い立ち
生年月日:1927年12月16日
本名は小野田昭彦(おのだ あきひこ)、生まれは現在の韓国の首都ソウル。
父の彦次は東洋拓殖に勤務しており、母はフクでその次男として生まれた。
兄弟は2つ上に新東宝の監督の小野田嘉幹、4つ下には妹の音羽美子がおり、音羽美子も女優、歌手として活躍した。

平田明彦氏は東大法学部を卒業しているそうです。

兄で東宝の監督をしていた小野田嘉幹氏のところに入社します。

1954年には第一作の「ゴジラ」に博士役で出演しているそうです。

怪獣映画に出演することが多かったみたいですが、1984年には56歳で死去しています。

馴れ初めは?

久我美子さんと平田明彦氏が交際に至ったのは、1960年の10月「大阪城物語」での共演がきっかけだったみたいです。

披露宴は久我美子の親友の3人娘として売りだしていた、岸恵子さんや有馬稲子さんなどが出席したといいます。

司会は、東宝の木林圭樹さんで、三船敏郎さんや池部良さんなどが出席し、台風が近づいているにもかかわらずたくさんの人たちが詰めかけたといいいます。

3時のあなたで司会を

1969年からはフジテレビ「3時のあなた」で司会を務めました。

1970年からは、テレビや舞台での活躍が中心となったようです。

現在の活動

最近はほとんど活動はしていないみたいで、2004年の義姉になる女優の三ツ矢歌子さんの葬儀に姿を見せたくらいです。

三ツ矢歌子さんは、夫が小野田嘉幹氏です。

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