安西愛子の夫は誰?息子や家族・経歴について。

今回は、安西愛子さんについてご紹介させていただこうと思います。

 

安西愛子さんについて

プロフィール

あんざい あいこ、本名:志村 愛子(しむら あいこ)1917年4月13日 – 2017年7月6日)

日本の童謡歌手、声楽家。

東京音楽学校声楽科に入学し、現東京芸術大学大学院である東京音楽学校本科研究科卒業。

卒業後はコロムビアレコード専属の歌手となりました。

音楽にまっしぐらなご経歴だったのですね。

NHKラジオ番組「うたのおばさん」

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1949年8月から1964年4月までNHKラジオ第1放送で放送されていた幼児向けの歌番組。

それが「うたのおばさん」です。当時は幼稚園・保育園に行く子どもはほとんどいなかったそうです!

そんな戦後の子どもたちの音楽文化育成のため制作されました。

現代の「おかあさんといっしょ」ラジオ版のようなものですね。

そう考えると、安西さんも“うたのおねえさんラジオ版”的な存在だったのでしょうか。

それにしても当時、安西さんはまだ30代前半だったそうです。

公共の場でおばさん呼ばわりとは、NHKもなかなかですね。

ご本人としても「おばさん」呼ばわりに躊躇したようですが。

「長寿番組にしたいから」というNHK職員の説得に応じたという裏事情もあるそうです。

番組では、

めだかのがっこう」「朝はどこから」「ぞうさん」

などの童謡を広めたそうです。現代でもよく知られている曲ばかりですね!

参議院議員立候補

1971年、参議院議員選挙に自民党公認で全国区から立候補し初当選。

以降連続当選3回。在任中には、北海道開発庁政務次官、自由民主党政策審議会副会長を歴任。

1989年、自民党の参議院比例代表候補の70歳定年制に従わず、離党して太陽の会を旗揚げ。

その後、第15回参議院議員通常選挙に比例区から立候補したが落選した。

同年勲二等宝冠章受章。

1995年より日本福祉党顧問、1997年より日本会議副会長。

長年、パワフルに活動された方だったことがよくわかります。

また、よくよく考えれば当初は歌手だったわけですよね?

とすると、初めから政治の知識があったわけではないですし非常に努力されたのだと想像します。

家族について

夫は?

こんな画像があったので「結婚相手か?」と思いましたが、デュエットのお相手でした。

そして「結婚おめでとう」という歌を出していただけでした。

安西さんの旦那さまについての情報は得られませんでした。

結婚・離婚に関する話も全くないため、不明です。

しかし、安西さん逝去の際、喪主を息子さん(次男)が執り行っています。

子供は?

次男がいらっしゃるということは長男もいらっしゃるわけで・・・。

少なくとも2人は子どもがいらしたようです。

次男の志村重貴さんは、

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・バイエル・ピアノ教本にそった6才からのソプラノ・リコーダー教本 : 全曲伴奏譜付

・ソプラノ・リコーダーと同じ指使いで学べるやさしいアルト・リコーダー教本 : 全曲伴奏譜付

などの著書があるとのこと。安西さんと同じ音楽関係のご職業のようですね。

お母様と共演のご経験もおありそうです。

最近まで

元(有)安西音楽研究所・杉の子こども会 会長・代表取締役社長

でしたが、現在は講師業などに尽力しているようです。

父親は?

写真などは見当たりませんでしたが、安西庫司という方だったそうです。

なんでも校長先生だったのだとか!

自宅は杉並?

安西さんの自宅について、詳しい情報はほとんどありません。

しかしご逝去後、葬儀・告別式を杉並区堀ノ内の妙法寺堀之内静堂で行なわれたことから、

杉並区内にご自宅があったのではないかと推測します。

またお父様が杉並第七小学校(阿佐ヶ谷)の校長先生だったとのことからも、おそらく間違いないでしょう。

この付近は自然が豊富で閑静な住宅街。都内でも人気のエリアです。

金田一春彦との関係は知り合いだった?

言語学者として有名な金田一春彦さん。

1924年2月、東京府豊多摩郡杉並町成宗(杉並区成田東四丁目)への転居に伴い、

杉並第二小学校に転校する。

6年生の時、童謡教室「阿佐ヶ谷童謡楽園」に通い、小学2年生だった安西愛子と知り合う。

こんな記述が見つかりました。幼少期に出会っていたとはすごいですね。

金田一春彦が失恋?交際?

しかも金田一さん。安西さんが初恋相手なのだとか!

人生で唯一のラブレターを書いたそうですが、安西さんの父親から返事がきたそうです。

失恋のショックでなんと高校1年で留年を経験しているというのですから、驚きです。

失恋を題材に寮歌「浦和高等学校自治寮音頭」を作曲までしたそうですよ。

金田一さんが出征する際、安西さんの姿があったのだとか!

安西さんのお父様が、理由は告げぬまま

「是非参列するように」

と言われ見に行ったそうなんです。

さらに驚くのは、

1966年春、春日由三の出版記念会で安西愛子と再会し、交際が復活する。

のちに、愛子主宰の杉の子こども会の後援会長となる。

という後日談。

「交際」がどの程度のものかはわかりませんが、友人関係程度だったのでしょうか?

金田一さん、このような本も出しています。

今はお二人とも死去されており、その真相を現在知り得る人はいなくなってしまいました。

なんと100歳というご年齢でこの世を去った安西さん。死因は老衰でしたが、長生きされたのですね。

安西さんのご冥福をお祈りいたします。

そして安西さんが歌っていた童謡がいつまでも歌い継がれますように・・・。

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